![]() 2008年09月18日
大阪の材木屋はすごい本当に長い間サボっていたブログを再開します。(本当にダメですよネー) そこで少し前になりますが7月に組合の旅行で我が郷土の偉人で冒険家 植村直己さんの故郷兵庫県豊岡市にある「植村直己冒険館」に訪れた時の事を報告いたします。 植村直己さんが冬の北米最高峰(アラスカ)のマッキンリーで消息を絶った時(1984年)高校生で、その時初めて兵庫県出身の方だと知りました。死後彼の生まれ故郷である、兵庫県城崎郡日高町(現在は豊岡市)に「植村直己冒険館」が出来ていた事はもちろん随分前から知っていましたが、今回初めて訪れるチャンスに恵まれました。
そこで、私はすごい事実を知る事となりました。それは日本人でエベレスト初登頂者は植村直己さんと私はずっと思っていましたが、実は彼よりも数歩先に登頂をはたした人物がいたのです。その方は松浦輝夫さんで、実はこの方大阪の材木屋さんなのです。私も直接は存じ上げないのですが、この方が大阪の材木屋さんで登山家である事もエベレスト登頂に成功した方であるという事も存じておりましたが、日本人初であるという事まではお恥ずかしい事ですが知りませんでした。 初登頂当時(1970年5月11日)植村直己さん28歳 松浦輝夫さん35歳二人が日本山岳会の多くのエベレスト登山隊から選ばれた最終の登頂アタック隊から更に選ばれ登頂を目指したのですが、山頂直前で先に歩いていた植村直己が突然立ち止まり、後を歩いていた松浦輝夫さんが追いつくのを待ったそうで、心配した松浦さんが「どうかしたのか」と問いかけた所「先輩が先に行って下さい」と言い返したそうで、松浦さん自身植村直己さんが先に登り後方を松浦さんが行くのはごくごく当たり前のルール(役目)だったそうで。最後まで自分の役目をはたした上で最後の最後に先輩に先に行く様に言い、極限の中でも「日本人初登頂」と言う栄光を先輩と言う事だけで私に譲ったと松浦輝夫さんのビデオ証言で知る事が出来感動しました。 そしてこの美談には続きがあり登頂を果たした植村直己さんは持っていた登頂の証拠となるフイルムを抜いたカメラも含めて下山には必要でない荷物を全て山頂に残し持てるだけの山頂の石をリュックに詰めたそうで、松浦さんが「そんなに持って降りてどうするのだ」と聞くと植村さんは「登頂を果たせなかった多くの登山隊の仲間に持って帰る」と言ったそうで、この時松浦さんは植村直己とは人の気持ちをとても大切にする人間だと思ったそうです。 この様な素晴らしい偉人の、語りべが同じ大阪の材木屋であることを知り有意義な旅行となりました。
投稿者:汐見木材 | 日時:08:27 | コメント (0) | トラックバック (0) 2008年04月25日
世界でいちばん大切な子供たちのために本当はこの様な文章をこのブログに掲載するのはいけないことかもしれませんが、光市事件のことを私が知った時、私も一人の子供の父親になった時で、この事件に怒りを覚えました。 先日ご紹介したイケヤの遊具にはある言葉が書かれています。 投稿者:汐見木材 | 日時:23:09 | コメント (0) | トラックバック (0) 2008年04月08日
桑田真澄 現役引退に付いて少し 時間がたちましたが、桑田真澄の現役引退に付いて一文書かせて頂きます。 投稿者:汐見木材 | 日時:17:44 | コメント (0) | トラックバック (0) 2008年04月03日
4月の楽しみ「IKEAオープン」この4月に楽しみに待っていたお店がオープンします。 この店の事は2004年の2月に当社で取り扱っている欧州赤松【レッド(パイン)ウッド】の工場視察でスウェーデンを訪問した際に現地で日本のホームセンター的な位置付けなのか、移動中よく見かけました。その時に現地をアテンドして頂いた日本人スタッフの話で、この店は「世界各国(33ヵ国)に進出して、日本は過去に撤退したのだが、今年(2004年)再度日本に再進出する」と聞き、元々「北欧デザインの家具」に興味がありましたので立寄りたかったのですが、時間的な余裕がなく現地では立寄る事が出来ずにおりました。 新横浜駅から無料の送迎バスが出ておりそのバスに乗ってイケアストアに向かいました。
お店に入ると、写真にはありませんが、子供を預ける(有料)事の出来る託児施設があり、そして買い物袋と紙のメジャー・紙と鉛筆が用意されており、必要なものをもってお店に入る仕組みです。 店舗作りから小物までほぼ全ての物にデザイナーが手掛けている様で、至る所にデザイナーを紹介する掲示物がありました。この少し前から北欧デザインの物が取り上げられる事が多くなり、現在では街にこの手の物があふれていて新鮮味がないかもしれませんが、この時一つひとつの商品から物の見せ方・ライティングの仕方等など目に飛び込んでくるもの全てに衝撃を受けたことを今でも覚えています。 また、商品の販売だけはなく商品の劣化実験や部屋のレイアウトをブロックやパソコンでシミュレーション出来るコーナー等があり、私は常々リノベーションする事や家具を買うことは空間を買う (売る) 事だと思っているのですが、その事を意識しているし私の考えも間違いではないと確信しました。 そして 育児施設には年齢制限や受入れ人数の制限があるので、至る所に子供が飽きない様に遊べるものが所々にあり、ターゲットの年齢層を意識している事が感じ取れました。 また正式名称・表記は日本語では北欧と同じ「イケア」ですが、アメリカやオーストラリア等では、「アイケア」「アイキア」と微妙に違い、私の様に北欧で出会えばイケアなのですが、オーストラリアに在住の友人は「アイケア」と呼んだりします。それだけ各国で支持されている事の証のようです。 そして フードコーナーもあり一人で食事をしたのですが、イケアには食料品を販売するコーナーがあった様でこの時気づかなかったのですが、この食料品コーナーも充実しているそうで、東京に出張の多い友人からお土産でもらったスモークサーモンとディル(香辛料)入りのマヨネーズベースのサーモンソースのセットが我が家のお気に入りになっています。 これまでの日本にないコンセプトの大型店舗ですので、一度は行って見る価値があると思います。 投稿者:汐見木材 | 日時:18:27 | コメント (0) | トラックバック (0) 2008年04月01日
今日で私は二十歳です。今日から新年度です。
20年前はバブルの頂点の頃で、周りには別世界の人が沢山いた事を思い出します。 投稿者:汐見木材 | 日時:11:46 | コメント (1) | トラックバック (0) 2008年03月31日
子供の絵画展小学生の子供の描いた絵が、入選しその展覧会が天保山であったので行ってきました。 展覧会の帰りに 桜が咲いていました。 投稿者:汐見木材 | 日時:02:30 | コメント (0) | トラックバック (0) 2008年03月25日
先ずは焼肉から
投稿者:汐見木材 | 日時:16:47 | コメント (0) | トラックバック (0) 2008年03月14日
森の見学会「吉野材が高級材と言われる理由がわかりました」(2008年)3月8日の土曜日に、大阪府建築士会の中にある青年委員会の方々と、私の所属している木材業界の青年会とで共催事業で奈良県吉野の山林を見学するバスツアーに行ってきました。この事業は私達の会と青年委員会の卒業年齢(45歳)が同じと言う事もあり、昨年は講演会を今年は産地見学会と昨年度から交流をふかめてきています。そこで奈良県吉野に行って来ました。実はこの企画の計画当初から私も年回りで中心になって、青年委員会と受入先の吉野川上地区の青年会との打合せを 昨年の夏ごろから企画を練り上げて来ました。 本当のテーマは私の希望で「環境問題から見た近隣材の現状と有効性」だったのですが、今回は吉野の林業史の初級編といった形となってしまいましたが、大変身のある研修会にする事ができました。 今まで私も吉野材の桧杉がどうして高級材として珍重されるのか、恥ずかしい話しよくわかっていなかったのですが、今回のツアーでその本当の理由が材木業に身を置いて20年目に知る事が出来ました。まずその理由から書かせて頂きます。 最後になりましたが、お世話頂きました。奈良県川上会団の皆様ありがとうございました。 投稿者:汐見木材 | 日時:00:32 | コメント (0) | トラックバック (0) 2008年03月11日
3月6日に朝一番の新幹線で東京に出張してきました。目的は東京ビックサイトの開催されていた「建築建材展」の見学です。 まず、日帰りの予定でしたので、朝一番ののぞみで東京に向かいました。この時間帯に新幹線に乗るときの楽しみは、やはり富士山ですので、必ず通路側に座りたいのを我慢して、私は窓際のE席を選んで予約します。しかし朝のほうが富士山を見られる可能性が高いとはいえ見られない時も多々ありますので、その時の運試しの様な気分で新幹線に乗ります。 投稿者:汐見木材 | 日時:00:18 | コメント (0) | トラックバック (0) 2008年03月07日
ワインを楽しむ会今回は この3月1日の土曜日にあった飲み会の話です。 そこで肝心の私の成績ですが、二年連続 × でした。 投稿者:汐見木材 | 日時:17:54 | コメント (0) | トラックバック (0) |